昨日・今日がこの夏の盛りかな。昼間の最高気温は 38 度台、帰宅時の室温は 35 度であった。なお、来週中頃から急に涼しくなるようで、最高気温 33 度くらいの予報になっている。
デスクトップ PC の壁紙を Paul Wilhelm Keller-Reutlingen の "Junge Gänsemagd auf einer Wiese" と "Sommeridyll am Bauernhof. Öl auf Leinwand" にした。ドイツの画家の作品だけど、Cambridge にもよく似た風景はあった。とりはこういうところに住みたい。日本からこのような風景が失われたのを心の底から悔やむ。
過去時制の助動詞「き」は、完了/存続アスペクトも表すか?
カードキャプターさくらの呪文「闇の力を秘めし鍵よ」の鍵は、今も力を秘めているのだから、過去時制の助動詞「き」でなくて 完了/存続アスペクトの助動詞「たり」のほうが適切ではないかと以前に指摘したことがある。もちろん、漫画やアニメのセリフは「それっぽい」雰囲気を出すのが目的に過ぎないから、文法的に間違った表現を使うのもまた artistic license というべきであろう。あくまで、これをきっかけに考えてみたという話である。
そういう経験があった中、昨日たまたま、小説家になろうで多雨氏による「擬似古文でカッコいい呪文や誓約文を書く時の注意――過去と完了の助動詞について」という作品を見つけたので、興味深く読んだ。多くの例を引き、ファンタジー小説でありがちな文も作って解説した力作である。ここでは、「き」の連体形である「し」が名詞を修飾する場面において、「結果が確定しない場合」と「過去として規定されたため、現在は違うと見なされる場合」を注意している。例えば、「精霊たちに愛されし乙女」という表現は、今も愛されているか分からない、それどころか今は愛されていないという含意があるのではないかという指摘だ。これは私が違和感を覚えた「闇の力を秘めし」と同様のケースである。一方、「過去の出来事であり、その結果が消えずに定着するパターン」として「選ばれし者」「祝福されし者」、「過去に授受を済ませたものを示すパターン」として「受け継ぎし××」「賜りし××」などを「安全な表現」として紹介している。とりとしては、この説明には説得力を感じず、今はもう祝福が続いていないとか、今は受け継いだものを失っているという解釈も可能で、「愛されし乙女」と本質的な違いはないように思われた。「過去となった期間を示すパターン」として出ている「在りし日」や「若かりし頃」については、今と切り離して話題に出す用法だから不満はないのだけれど。なお、同じ属として例示されている「過ぎ去りし日々」は、過ぎ去った結果今はもうないという点でアスペクトの要素が入っている気がするが、それは「去る」の部分で表現されているとも理解できる。実際、「し」 + 名詞という用例を「竹取物語 (国民文庫版)」で探してみると、最後のあたりで「書きおきし文を讀みて聞かせけれど」とあり、「おく」という補助動詞によって動作結果の存続の意味が表されており、「し」は純粋に時制だけを表すと解釈できる。
ところで、手元にあった旺文社「古語辞典」(昭和 44 年改訂新版)を見ると、「動作・状態が完了して、その結果が存在している意を表す」という用法を挙げており、例として為忠集より「わが園の咲きし桜を見渡せば」を挙げている。手元にないので実物を確認できぬが、下に挙げた記事によると、同じく旺文社の「全訳・古語辞典」では、この用例に平安末期以降の用法とただし書きされているらしい。Mac OS X 付属の「スーパー大辞林」や、手元にある「広辞苑」では、この用法の記載はなかった。どうやら、平安時代の中古日本語では「き」は純粋に過去時制の助動詞であったが、鎌倉時代以降の中世日本語へと時代が進んで時制・アスペクトの助動詞の混用が始まると、「き」は完了存続アスペクトの用法も持つようになったようだ。学校文法は中古日本語の文法を金科玉条のごとく教えるので、「き」は過去の助動詞と習い、完了の助動詞である「つ」「ぬ」「たり」「り」と明確に区別されるわけだけれど。これらの助動詞が「た」に集約した近世〜現代日本語の話者にとっては、英語の冠詞類の使い分けが難しいのと同様、平安人のような感覚で使い分けをすることは相当難しく、ぐちゃぐちゃになってしまったようだ。とはいえ、中古日本語文法から見れば誤りであるが、これだけ広く使われた用法を規範文法的に誤りと断定して批判してよいかどうかは高度に政治的な問題である。この件は、俳句や短歌を作る人にとって非常に contentious な話題であり、下の記事を見ても、いろいろな意見が見られる。また、上の多雨氏の作品もそうだが、中古日本語の文法に照らし合わせて議論しているのか、後の時代の用法も含めて議論しているのかが不明瞭な論説も散見された。
残念ながら、21 世紀の現在にあえて文語文法で作文しようとする人のほとんどは短歌か俳句のためである。そのため、議論も例文も大半が韻文についてであって、散文についての情報はたいへん乏しい。自分がいざ文語文を書こうとする時に、参考にこそなれ、答えは得られぬことが多い。例えば、「先人も ◯◯ と言っていたのを知った」といいたいとき、直感的に「昔人も◯◯と言へるを知れり」などと書いてしまうが、(1)「言った結果が今も残っている」ということで存続の「る」でいいのか、(2) 発言をしたその一点を指して「言ひしを」がよいのか、また主節についても (a) 自分が知って今もその知識があるという存続のアスペクトで「り」でよいのか、(b) 知ろうとした能動的行為の完了として「知りつ」なのか、(c) 何かの機会にたまたま知ることになったという消極的結果で「知り ぬ」なのか、悩ましい。なお、森鴎外の文語文は、助動詞の使い分けが必ずしも中古文法に従っているとはいえないが、文づかひでは「この末の姫の言葉にて知りぬ」、舞姫では「君を思ふ心の深き底をば今ぞ知りぬる」と「今気付いた・分かった」という状態変化に主眼がある文脈では「ぬ」を使っており、「東に還る今の我は〜浮世のうきふしをも知りたり」という状態描写では「たり」を使っている。
こういう用例を探すにしても、本当は源氏物語など長大なものも含めて、"「し」+ 名詞" といった文法構造で検索して列挙できたら 便利なのだが、そういう検索エンジンは整備されているのだろうか。UniDic と MeCab を組み合わせて品詞分解する Web 茶まめ というものがあるので、これで分解した結果に対して検索すれば可能そうではある。「し」の前の動詞が動作性のものなのか、状態性のものなのかで分類してみるのも面白いのではと思った。
胃のかたち "「し」について"
目前で生起した事象について使えるかという話をしている。中古文例を探してみたい。八角堂便り "歌の小火 / 三井 修"
文法と直すということについて。和歌入門附録 "和歌のための文語文法 助動詞の種類と機能"
ここでは、"室町時代頃から、複合助動詞「にき」あるいは助動詞「たり」と同じような意味でも用いられた" としている。新アララギ 短歌雑記帳 "「し」と「る」「たる」 (1) "
問題提起。新アララギ 短歌雑記帳 "「し」と「る」「たる」 (2) "
"「昨日、降った雪」は「昨日降りたる雪」または「昨日降れる雪」とは言うべきではあるまい。どうしても「昨日降りし雪」である" とするが、果たしてそうであろうか? その雪が今も残っているという文脈か、そうでないかにもよるのではないか。英語の現在完了形は時点を表す副詞句と共に使えないという話も思い出させる。新アララギ 短歌雑記帳 "「し」と「る」「たる」 (3) "
ここにある、過去の行為に目を向けるか、その結果としての現状に目を向けるかの違いだという解釈は、もっともで受け入れやすく感じられる。新アララギ 短歌雑記帳 "「し」と「る」「たる」 (4) "
江戸から明治の短歌や俳句における「し」の用例をたくさん出している。少なくとも、短歌・俳句については "この言語状況を認めるほかはないではないか" には同意である。新アララギ 短歌雑記帳 "「し」と「る」「たる」 (5) "
中古以前では、このアスペクトの「し」の用例がほとんどないものの、古事記や万葉集にわずかに例があることを紹介している。
それにしても、紀貫之の「袖ひぢてむすびし水のこほれるを春立つけふの風やとくらん」、一句の中に、夏・冬・春の 3 つの季節を詠み込んだすごい句だなあ。新アララギ 短歌雑記帳 "「いづくより来りしものぞ」"
山上憶良の歌 "(子どもというのは)いづくより来りしものぞ、まなかひにもとなかかりて" については、「どこからやって来て、今ここにいるのだろうか」とまでは言えないから、「し」でも良いようにとりには感じられる。なお、「まなかひに」は「眼前に」の意味、「もとな」は「本なし」で「なぜだか無性に」の意。 i新アララギ 短歌雑記帳 "「命をはりし後世(のちのよ)」"
未来完了の用法の指摘。また、本来終止形に接続する引用の格助詞「と」を連体形と接続させる用法についても紹介している。明治時代に出された「文法上許容スベキ事項」 で許容とされたそうだ。週刊俳句 "助動詞「し」の完了の用法"
大量の用例を挙げて援護している。
読んだ
生物物理学会誌 "アロステリック調節薬による μ オピオイド受容体の活性化機構" SPA で観察された DRY モチーフのマップの微妙な違いについて議論しているのは気に入らないが、その点は NMR や変異体実験で検証しているので良しとする。問題は、相対活性 64 % に相当するという部分活性化状態の正体が不明であることだ。図 5 では、G-alpha が結合するポケットの大きさが徐々に大きくなっていくような絵が出してあるが、M283 の溶媒 paramagnetic relaxation enhancement (PRE) 効果の図 2 を見ると、部分活性化状態のほうが暴露が少ないように見える(しかし、本文にある数値はグラフと対応して いないようで、何かの間違いなのかもしれない)。また、DRY モチーフの R と Y も各状態で揺らいでいるような絵が書いてあるが、 そうなると、M283 のケミカルシフトに基づいて定義した 3 状態というのは、内部的には更に複数の microstate に分かれるということになる。
CNN "The world’s first passenger jet was a luxurious death trap. Now it’s been brought back to life"
この De Havilland によるジェット旅客機の開発と相次ぐ事故による失敗 の話は、イギリスにいた頃、BBC のドキュメンタリで見たような気がする。- livery: 会社のロゴ
- opulent: 豪奢な
- vanity mirror: 化粧用の小さい鏡。
- chrome: クロムメッキ
- tuck into X: X をガツガツ食べる
- flimsy: 薄っぺらく壊れやすい
GazLog "NVIDIA GeForce GTX 1080 Ti が GeForce RTX 5050 に完敗。一時代の終わり"
FP32 理論性能でも、約 11 TFLOPS vs 13 TFLOPS で実際負けている。でも VRAM 容量と帯域は増えていない(11 GB, ~ 480 GB/sec vs 8 GB, ~ 320 GB/sec)のがつらい。vagabond 「放浪者」や vague 「曖昧な」の語源はラテン語の vagus
迷走神経 vagus nerve を知ってたのに気づいてなかった。
見た
- Kubiarts3d "Liyue Harbor in Unreal Engine 5 - Genshin Impact Fanart Part 1"
リアルさはすごいけど、リアルな方がいいってもんじゃないことがよく分かる。原神に比べて鳴潮の世界を妙に暗く感じるのも、このせいかな。