諦める、いや逃げ出すことで精神安定を図ってきました

悪い phase が2週間目で改善傾向にあるのは間違いないが、万全には程遠い。直接的な焦燥感や不安感が薄まった代わりに、もっと複雑にごちゃごちゃしたものが蠢いている感じである。ただ、前者が弱まったために、面白い話を聞けば大笑いもできる、という意味で、改善傾向にはあるのである。

こういう「大きな」悪い相から回復するたびに、1つ1つ、何かを諦めている気がする。いや、それは綺麗に言い過ぎで、「何かを捨てたことにして、逃避することにより、気分が回復する」といったほうが正確かもしれない。

研究者になりたいという思いは、ここ2年くらいでゆっくりと消えていった。始めは「必ずしも研究をやらなくてもよいのではないか」くらいだったのだが、「こんな嫌な/辛い思いをするならば、もっと負荷の軽い仕事にしたい」という感じに変化した。

それから、アカデミックな場所にいたいという思いも、かなり薄れている。かといって、一般社会に適応できる気も全くしないのが大問題だが、最近、最新論文を読まなくても生きていけることに気がついたので、電子ジャーナルアクセス権を腐心して確保しなくても大丈夫そうだと自信をつけた。何を言っているんだと思われるかもしれないが、一時期の私は、ジャーナルRSSを毎日チェックして最新論文を読むことが一種の強迫行為になっていたのである(楽しみな曜日 も参照)。Google Reader のサービス停止に伴って RSS の購読をやめ Nature と Science だけ手動でチェックするようにし、普段ならダウンロードするだろう記事を見つけても「あえて」ダウンロードしないでいることで精神状態にどういう変化を来すか実験したところ、実害がないことが判明したので、随分楽になった。幸い NIH などが Open Access ポリシーを推進しているので、しばらく待ちさえすれば大抵の論文は読めるようになるのである。それに気づいたと同時に、「ああ、大学にいなくてもいいな」と思った。

それから学会やセミナーについても、どうせ今だって、満足に参加できていないのだから、どっちみち変わらないのである。アメリカ結晶学会 (ACA 2013) にも回折構造生物国際シンポジウム(ISDSB 2013) も大いに興味あるが、自分の研究成果があるわけでもなし、物見遊山に出かけたら相手のほうが迷惑であろう。そんな資金もない。

このあたりの心境については、2014/1/2 科学の先端と接触していたい - biochem_fan's note に詳述した。