悪意を想定しない

土曜日の午前中は英語の試験を受けて、午後は調子が悪いなりに頑張って精密化をしていたが、夜になってついに破綻した(それが20日の記事)。反動で、日曜日は終日ぐったりしていた。何もしないでいると多少改善するが、問題を先送りしただけで何も解決していない。2-3週間周期の気分変動は私の中のリズムとして長いことあるが、負荷(実務系の仕事・理論の仕事・自分の勉強の3つを辛うじて回していたところに、いよいよ論文の仕上げが入ってきて、さらに昔のゴタゴタが連想されてしまい……ということ)がかかってくると波が大きくなったり、短周期になったりして、こういう状態になってしまう…… 普通は、なんでもない程度の負荷なのだろうけれど。

ところで、事務などの役所的振る舞いにイラッとすることがあるが、彼らは悪意があって嫌がらせをしていると考えるとますます腹が立つ。一方、彼らは何も考えず、誰か上の人が書いた出来の悪いプログラムに従って動いているだけなのだと考えると、腹が立たなくなるというのが個人的な発見である。他人の悪意を想定すると、不安になったり腹が立ったりする。「機械論的生命観」 にも似たことを書いたが、万事単なる現象だと思ったほうが精神の安定にはよい。バグだらけのプログラムにいちいち腹を立てないでしょう。いや、腹を立てる人もいるかもしれないが、私はプログラマ歴が長いせいか、「しょうがないなぁ……」と思うだけでコンピュータに八つ当たりしたりはしない。プログラムにしたがって動いているだけなので、彼らに直接抗議したり意見しても何も変わらない。プログラムの修正権限を持ってるエライ人に頼んで、コードを書き換えてもらうのが吉である。