私が講義を受ける態度を学んだひと

何年も下書きに眠っていた原稿を公開:

私も高校までは、講義を受ける時、特に積極的な学生ではなかった。むしろ引っ込み思案で、先生が「◯◯が分かる人いますか?」と訊いても、わざわざ手を挙げたりしない、典型的な"日本人型"学生だった。欧米は違う。NHK でも「白熱教室」として放送されたhttp://www.justiceharvard.org/: Sandel 教授の倫理学の講義を見れば分かる通り、先生が問いを投げようならば、クラス中から一斉に手が挙がる。説明に不明瞭が箇所があれば、講義の終わりを待たず、その場で手を挙げて質問をする。TV 番組だから誇張されているのだろうと思う人がいるかもしれないが、そんなことはない。私は今(執筆当時; 2013 年)イギリスの大学院で講義を受けているが、番組の通りである。それでも信用ならぬというなら、Open Courseware の動画を見ればよろしい。

私は大学に入学してから、こういう「欧米型」の積極姿勢を身につけた。そのきっかけをくれたのは、ある同級生だ。仮に A さんと呼ぶことにしよう。A さんは、いつも最前列の中央付近に座っていた。武道系の部活の出身だからか、常に背筋を伸ばしてキリっとしていた。髪の毛はごく短く服装も中性的で、失礼ながらしばらくの間、男性だと思っていたくらいだ(ただし私は人間の性別や年齢を外見から判断するのがおそろしく苦手なので、それを差し引いて考えてほしい)。最初、男だと思っていたおかげで、男子校出身の私も気後れすることなく、隣に座ることができた。

当時の A さんの振る舞いは、分かりやすく言えば、Harry Potter ハリー・ポッター 1 巻の大真面目だった頃の Hermione ハーマイオニーである。当時の私も、「ハーマイオニーだ。ハーマイオニーそのものだ」と思った。先生が現れても教室のざわめきが収まらなければ、「皆さん、静かにしてください!」と注意するのであった。学年の委員を決める時も、自分から学年代表に立候補していた。

A さんで印象に残っていることが 1 つある。それは線形代数学の講義だ。定年間近の厳しい先生で、1コマ目、鐘と同時に入ってくると、ざわめく教室に向かって「大学に入ったからといって弛んでいてはいけない」と一喝した。内容も、1 コマ目こそ対象が医学部であるということも考慮してか、線形性の理論が CT の原理(filtered back projection)に繋がっていくのだという informal な話だったが、2 コマ目からは、係数体を定義してベクトル空間の公理に進むという抽象度の高いものとなった。公理・演繹型の数学にはじめて接する我々は、目を白黒させてしまった。そこへ、A さんは手を挙げて、「すみません、そもそも、係数体とは、何のためのものなのでしょうか」と訊いた。それで、先生もはっとして、導入の動機などを説明しはじめたのだった。

入学して数週間するうちに、私は A さんをすっかり尊敬してしまった。世の中にこんなに立派な人間がいるのかと思った。こんなに真剣に講義を受けている人がいるのかと思った。だが、その頃には A さんが女性であるということを認識したので、声を掛けることができなくなってしまった。男子校出身の私は、女性にどう接していいのやら、皆目分からなかったのである。不用意に女性に声をかければヘンタイだと思われるのではないか、周りから囃されるのではないかと恐れていた。そもそもいつも隣に座るのが失礼に当たるかもしれない。下手をするとストーカーだと思われるかもしれない! そこで一つ離れた席に座ることにした。たまに A さんの方から話しかけてくることがあると、内心大歓喜で、敬語で会話したものだった。私は自分と A さんが同性でないのを悲しんだ。同性だったら、余計な気を使わずに、もっと自由に会話できるのにと。後で聞いた話では、A さんのほうも私がクソマジメに見えて、果たして休み時間に雑談をしていい相手なのか迷っていたそうである。

A さんは学年が進んで専門科目が始まったころから、おしゃれをするようになり、髪も伸ばし始めた。講義には休まず出席していたが、落第して追試になる科目も出てきた。私は、「A さんは堕落した!」と残念に思った。A さんの友人である別の女性は、「君はそういうこと言うけどさ、A さんは今まで大変だったと思うよ。やっと自由になれたというか」と言った。後に聞いた話では、A さんの兄弟姉妹は大変優秀であり、強いプレッシャーを感じていたに違いない。

そうだ、私は A さんを、「リアル・ハーマイオニー」として、その振る舞い・キャラクタ的な意味で勝手なイメージを押し付けて申し訳なかった――と思っている。A さんは、現在、臨床医として活躍されている。