複数の言語を混ぜて使う

日本語に英語を混ぜる時、どこで切り変えるか、品詞をどうするか悩むことがある。例えば、「飽和する」は「saturate する」か「saturation する」か、「(実益が目的ではなくて)単に面白いからやっている」は「just for fun のためにやっている」か「just for fun でやってる」か。別に芸人のルー大柴みたいに話したいわけではない。元のニュアンスを保つために、どうしてもこの単語は英語のままにしておきたいという場合があるのだ。「飽和する」はともかく、"just for fun" の感覚は日本語にはぴったりしたものがなく、無理に表現しようとすれば迂言的・説明的になってリズムが悪いと感じる。

こういう時、 バイリンガルはどこでコードスイッチするのだろう? コードスイッチング code switching とは、(本当の)バイリンガル同士が話すときに複数の言語が入り交ざる現象のことで、言語学上の研究対象となっている。例えば、 YouTube にある例を見ればすぐ分かるだろう。

私がはじめてコードスイッチングを生で聴いたのは、大学生協であった。日本人らしい女性3人が、何やら話し合っている。ほとんど英語であるが、語尾に日本語の「なの」等がつく。ところどころ日本語の単語が混ざる。最初は、英語の練習をしているのかと思った。しかし、それにしては日本語が混ざりすぎである。日本人は大抵自分の英語を「恥ずかしく」思っていることが多いので、こんな「ちゃんぽん」なら、なおさら恥ずかしがって、食堂では練習しないのではないかと思った。その上よく聞いてみると、英語の部分が、発音といい、リズムといい、極めて自然である。学習者の英語ではない。その時は不思議でたまらなかったのだが、これがコードスイッチングを含んだ会話だったのだ。

よく、子供に小さいころからいろいろな言語を教えると、頭のなかでごちゃごちゃになって変な言語を身につけるという批判があるが、これは誤解である。2つの言語はそれぞれ完璧に習得した上で、両方分かる「仲間内」だけで、よりニュアンスが伝わりやすいように、あるいは「仲間意識」を表すために、言語の混用が生じるのである。

英語とスペイン語のように語順をはじめとする文法がほぼ同じ言語同士なら、従属節の内部だけ入れ替えたり、動詞だけ入れ替えるといった操作が容易であるが、日本語と英語は語順が違うので、さまざまな衝突が起こる。

例えば、「日本語英語バイリンガル大学生によるコードスイッチング」(宮原温子, Mejiro Journal of Humanities 7, 239-254, 2011) の例3は面白い。

E:Ummmmm, kind of kind of, like their accent’s pretty good, because for Spanish
if you speak in like カタカナっぽく言ったら、it kind of sounds like Spanish だから

http://ci.nii.ac.jp/naid/110008462961

ここでは、speak と like が、英語と日本語で繰り返されている。

コードスイッチングとは少しズレた話になるが、昔の医学書で日本語と独語が混在して似たようなことが生じている例もある。

集成内科学2巻(馬場辰二, 集成社)は昭和12年出版の内科学書である。心外膜炎について述べているページを例に取ると、独語の使用は名詞が主だが、

mikroskopieren シテ weisse und rote Blutzellen ノ多少ヲ檢スベシ

http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1047333/57

(「検鏡して白血球と赤血球の数を調べるべきである」の意)を見ると、動詞は名詞化せずに使っている。つまり、「saturate する」系の用法であり、「saturation する」系ではない。

Exudat ハ absorbieren サレ Schwiele ヲ殘スコトアリ

http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1047333/57

(「滲出液は吸収され、線維素を残すことがある」の意)は受動態となっているが、ここでも「saturate する」系統である。

次のページには副詞句の利用例もある。これは、専門用語(医学用語)でなくともドイツ語が使われている例でもある。

im allgemeinen ニ mässiges Fieber アルモ一定の Typus ナシ

http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1047333/58

(「一般的には中程度の発熱があるが、一定の型はない」の意)ここでは、前置詞「im = in dem」は「ニ」と意味が重なっているので、「just for fun のためにやっている」型である(なお、正書法についてはよく分からない。"im Allgemeinen" が正しいはずだし、 "mässiges" は "mäßiges" になるはずだが、原文通り)。