書くわけ

黒歴史になることは確定的なのに、なぜ鬱発言を書き連ねているのか整理しておく。

1つは、認知心理療法的な効果があるから。自分の中でもやもやしたものを文章として吐き出して目に見える形にする。書いたものが溜まっていくにつれて、「そういえば、これは以前にも書いたな」と気づくことが増える。そして、憂鬱や焦燥やイライラといった自分の精神状態の根底にあるテーマは、ごく少数に帰着することが分かってくる。

1つ目はポジティブな理由だったが、2つ目はネガティブな理由。自分はどうしようもなくダメな奴だということを曝けだす。こんなことを書いても自分の評価が下がるだけで利益にならないのは十分承知しているが、それでも書いてしまう。自傷的・自己憐憫的な、しょうもない動機。

書いたものをなぜわざわざ公開するのか。「構ってちゃん」なのか。そうかもしれない。――話し相手がいない、傷を舐め合う相手もいない。同級生は立派に臨床家になった。親しくつるんでいた後輩諸君も、まもなく卒業してモラトリアムを脱してしまう。他の大学院生は、研究への情熱や将来への希望に燃えているように見える。彼らを煩わせるのに忍びない。家族は、状況を分かってくれない。――だから誰かに「分かって」ほしくてこういうことを書いているの? それは甘えだ。

Twitter に鬱発言を書いて、多くの人に心配をかけた。このページは読者がほとんどいないし、はっきりと「鬱発言をするが、持病のせいなのでお構いなく」と断っておけばよい。だから書かせてもらう。申し訳ないけど。

2014/1/2: 微調整。これで最終版のつもり。