自分にとって、つまらないこと・無意味なこと

自分が興味を持てない事柄を「☓☓なんてつまらないよ」とつい言ってしまうことがある。「○○をしたほうが楽しいよ」とか。別に☓☓を貶そうと思っているわけではなく、純粋に○○が好きだから勧めているだけなのだが、言われた方からすれば、かなり不愉快かもしれないなあと反省した。自分の価値観の表明として、「☓☓は○○に比べてどうも面白くない」というのは別に構わない。だが、「今☓☓がとても面白くて」と言っている人に対して、「君、☓☓なんて本当にいいの? ○○のほうが有意義だよ」というのは暴力だなあと思う。

基礎科学と応用科学、理論と実験、dry と wet、ありとあらゆるところに価値観の相違がある。私も昔は、自分の分野/アプローチこそ至上といった態度を表して憚らなかったが、同じような態度を取る別領域の先生(特に若くして教授になった「やり手」に多い)にウンザリしてから、大いに反省した。

一つ例を挙げよう。学部時代の私は、臨床医学の勉強が、他の学問に比してあまりに表面的だと軽蔑していた。とくに、理屈もなく丸暗記することを嫌っていた。診断基準や治療ガイドラインの表を欄外の補足項目まで赤ペンで塗りつぶして覚えようとしている同級生が少なからずいたが、こういう行為は当時の私にとって愚の骨頂であった。私に言わせれば、診断基準やガイドラインはしばしば改訂されるのだから、丸暗記しても現場に出るころには変わってしまう可能性が高い。その上、実際に診療する際には、いくら学生の時に暗記した「つもり」になっていても、念のため原著にあたって再確認するべきだろう。それを何度も繰り返しているうちに、本当に確かな記憶として自然に定着するはずだ。そう考えれば、学生時代にねじり鉢巻で表を覚えることに何の意味があるだろうか。卒業試験や国家試験でも、たしかに解説を見ると、「腫瘍径が○mmで○○にまで浸潤があるから、T2N1M0 の Stage☓ で、したがって治療は○○」といった書き方がしてあるが、「○○まで浸潤してたら手術で取れるはずがない」という常識的感覚だけで答えられる問題がほとんどなのである。そんなわけで、診断基準やガイドラインを丸暗記しようとしている同級生を私は批判的に見ていたのだ。特に、表は徹底的に覚えているくせに、こういう基礎的な解剖の感覚が備わっていない者がいたりすると、「本末転倒ではないか!」と鬼の首を取ったような顔をしていたものだ。

まったく無礼千万な奴だったと、背筋が寒くなる。よく夜道で刺されなかったものだ。今ならどうするか。同級生が表の丸暗記に熱を上げているといって焦って相談にくる医学生がいれば(いないだろうけれど)、上のようなことを話して、「やりたくなければ暗記しなくても大丈夫だ」と安心させてやる。しかし、表を丸暗記することに熱を上げている学生自身に対して、今の私は何も言わない。

一時期の私は、コドン表を暗記することに情熱を注いでいた。それは塩基配列を見てアミノ酸配列をすらすらと書き出せたら、さぞかし愉快でcoolだろうなあと思って、楽しんでやっていたのである。コドン表を暗記することにはおそらく何の意味もないと分かっていながら、暗記作業に没頭する自分に酔って楽しんでいた。「お前のやっていることは無意味だから止めろ」と言われたら、相当腹が立ったに違いない。酔狂でも、本人が楽しければよいのである。部外者にケチをつける権利はない。この年になって、やっと気がついたことである。