帰宅したら室温 36 度。風がなくて窓を開けても冷えないし、さっさと風呂に入って冷房をつけよう。
読んだ
PC watch "約 30 年で GPU はどのぐらい速くなったの? 歴史を振り返りつつぜ~んぶ計算してみた"
FP32 TFLOPS はともかく、Pixel fill rate とか Texture fill rate はどうやって計算したんだ? 90 年代後半は、polygons/sec という値もよく雑誌に載っていた気がする。今から思うと、ポリゴンの面積とかにもよるから、比較しづらい指標だろうけど。
昔の記事がきちんと蓄積されているのが PC watch のすばらしいところで、AGP/PCI express ブリッジの話とか、GeForce FX 5800 の爆音・爆熱の話とか、当時の文章が残っているのがありがたい。後でしっかり読みたいところ。PC watch "Intel、第 14 / 13 世代 Core の保証期間を 2 年延長。不安定動作の問題で"
おっ。さすがに延長せざるをえないよね。河東泰之 「初期のパソコンのプログラミング経験」
河東泰之 「パソコン印税生活」
PC-6001 や PC-9801 時代に解説書を書いていた人の思い出。大学生が書いていたとは知らなかった。あの頃は、すごく尖った技術力を持った若者がいたのだなあ。河東泰之 「数学者と英語力」
数学では英文校閲に出さないという話と、対訳からいろいろな言語を習得した数学者 Ocneanu のエピソードが面白い。河東泰之 「Newton のリンゴ」
Cambridge 編。Isaac Newton Institute for Mathematical Sciences の話なので、とりが MPhil をやった DAMPT の建物である。「宿舎の向かいの寮に食堂がついており」というのは、Churchill college のことだろうか、それとも Robinson college のことだろうか。雨のしたたる秋の日、Robbinson college のあたりを歩いた記憶が突然蘇り、空気の湿っぽさやツタの紅葉などまで鮮やかに浮かんで、懐かしさに泣きそうになった。河東泰之 「母と数学」
遺伝なのかどうか分からぬが、すごい一族だなあ。河東泰之 「インチキジャーナル」
数学だと preprint が発達しているせいか、逆に掲載料のかかる open access journal にわざわざ投稿しないというのは面白い。河東泰之 「入国審査」
アメリカ入国審査で Banach 空間の定義を訊かれた話がすごい。類似例として二分探索木を平衡化する方法を尋ねられたという報告がある。河東泰之 「UCLA での TA 経験」
アメリカの TA 制度が教育実習・発表練習的な意義を持っているという視点が新鮮だった。河東泰之 「講義,講演を時間通りに終わらせるには」
講義で定理の証明をしながら、別の定理の証明を考えるというのがすごい。河東泰之 「研究集会とおかしい人」
日本の数学会は学会員 2 名からの推薦が入会に必要なのか。それって「おかしい人」を排除するのに、どのくらい実効性があるんだろう。河東泰之 「3 回目のテレビ出演」
再現映像込み、30 分にも渡ってテレビで取り上げられるって相当では。河東泰之 「ウェールズとウェールズ語」
Lloyds などの ll の綴りはウェールズ語由来なのか。河東泰之 「カルチェラタン」
「めぞん一刻」のフランス語題名が "Juliette, je t'aime" であることに驚いた。この時代だと、キャラクタの名前を現地風に変えるということもよくあったのだろう。河東泰之 「IHES での滞在」
1989 年ごろ、UNIX 端末室で博士論文をタイプした話が出ている。とりも先日、ある教授の部屋に、彼が博士論文を書くのに使ったという Macintosh SE が置いてあるのを見たことがある。河東泰之 「私のアカデミックポスト」
これだけ強い人なので、何もかも順調に(外からは)見える。UCLA の PhD を取る間も東大に籍があったというのが面白い。河東泰之 「麻布学園にいた頃」
ずいぶんと自由というか、崩壊気味の学校だったようだ。この人については、授業でノートを取ったことがないというのがすさまじい。河東泰之 「サンタバーバラとマイクロソフト」
読んだ。