よく言い古されたことだが、私はこういうことを知るのが楽しいので、同じような人がいるかもしれないと思い、書き出しておいた。#図を入れるつもりのまま下書きに放置していたが、キリがないので文字だけで公開。
翻訳をするときに、単語を1対1で移しかえることができると思っている人がいる。
大抵の単語は辞書で引くと、
1. A, A', A''
2. B, B'
3. C. ◯◯ということ。
4. D.××ということ。
のようにいくつかの意味が列挙してある。ここで、A とか A' と書いたのは日本語の単語で、◯◯というのは比較的長い説明文だと思ってほしい。
外国語を習いたての中学生くらいだと、これらの意味をすべて等価だと思い込んでいる。知らない単語に出会うと最初に目についた単語を持ってきて訳文を作り、試験でバツにされると、「辞書に載っているじゃないか」と抗議したりする。
少し学習が進むと、外国語の1つの単語が、日本語で複数の言葉に対応しうることを理解する。上の例でいうと、1・2・3・4 のどの意味が適切かを考えるようになる。受験における和訳では、このレベルが身についていれば十分である。
実際には、同じカテゴリの訳語でも、それぞれが微妙に異なったニュアンスを持つ。上の例では、A・A'・A'' は完全に交換可能・選択自由ではない。翻訳レベルになると、これらの選択も適切でなくてはならない。そこには、意味を正確に伝達するという働きを超えて、文体の問題も絡んでくる。
このように訳語の選択には細心の注意が必要なのだが、逆に「どの意味か」を日本語で考えすぎるという落とし穴もあるので注意したい。それが本記事の趣旨である。
私は(よくできる)高校生に英語を教えたことがあるが、「この文では、1, 2, 3, 4 のどの意味が適切でしょう?」と訊かれて、「うーん、実は 『1 かつ 2』 なんだよね」と言いたくなって苦笑した場面も少なくない。
同じ単語を、その言語の辞書(例えば英英辞書)で引くと、
1. XXXXXX
2. YYYYYY
のように、2つしか意味を持っていなかったりする。native の感覚では、つまり、その言語の感覚では、意味は2通りだということだ。日本語での意味は 1 から 4 まで4通りあっても、母語話者の感覚でその単語の意味が 2 つしかないとしたら、ある文章での意味は、日本語側の 1 でも 2 でもなくて、1 かつ 2 ということが起こる。典型的な例は 'sister' という単語で、日本語の「妹」と「姉」の双方を含む。これを無理矢理「妹」か「姉」のどちらかにしてはいけない。「姉妹」と訳して片付く場合はいいが、場合によっては著者に問い合わせた上で、妹か姉かを特定して訳すこともあるという。これは極端な例だが、抽象名詞を中心に、こういうことは頻繁に起きている。
それから、意味が辞書に載っている訳語の範囲を超えて、染みだしていることもある。"interesting" と「面白い」「興味深い」はイコールではない。ただ、第一近似として、これらの訳語を選択することが多いというだけだ。もちろん安直に、「この単語は、そのまま対応する訳語がないから」と言って、適当な単語を使って満足しているのは、単なる逃げであって、反省すべきことである。ある程度原語の分かる読者になると、翻訳を読む時でも、訳語から原語を類推して、単語の意味を日本語本来の用法から無意識のうちに拡張しながら読むようになるが、訳者がそれを期待すべきではない。
結局、本来連続的な概念を、単語という形で分節化する際に、いわば「量子化ノイズ」が発生するのである。化学で、「イオン結合性の強い共有結合」とか「ほとんど不可逆な反応」といった表現が出てくることがある。これも、自然界には明確な区切りがないものを、人間が無理やり区別しようとするから起こる現象である。「電気陰性度の差が○○以上ならイオン結合と呼ぶ」といった具合に境界線を引いてしまえば曖昧さはなくなるが、そもそも閾値で区切って二値化することに意味があるのかは問題である。
興味あるかたは、サピア・ウォーフ仮説、ソシュール、言語による虹の色などを読むと面白い。