手作業の魅力

X線結晶学の解析のステップには、手作業で人間が操作・介入する職人芸的なところが残っているのが嬉しい。積分でのちょっとしたコツでデータが綺麗になったり、分子置換でのモデル選択や探索順序の指定といった調節で、今まで見つからなかった解が見つかったりするのが愉快である。電子密度の中に Coot で主鎖を伸ばしていくのも、身体的な面白さがある。

人間の介入が必要なのは、アルゴリズムが不完全だからである。最適化アルゴリズムの収束半径が狭いとか、自動チェイン・トレースのアルゴリズムが人間の視覚系の認識能力ほど賢くないといった限界だ。効率を考えたら本来はすべて自動化されるべきものであり、実際、これらのアルゴリズムの改良に取り組んでいる研究者はたくさんいる。私自身、回折画像からのスポット検出を高速かつ正確にするといった実験をしているわけだ。それでいながら、矛盾するようだけれども、何でもかんでも自動化されてしまったら一種の疎外感が生じると思う。少なくとも私は、完全に自動化された構造生物学には魅力を感じない。

知り合いの統計学者の中には、こういった人間の介入をバイアスの原因になるといって毛嫌いする人がいるが、X線結晶学ではR因子や幾何による妥当性チェックがあるので、客観性を失うリスクはほとんどない。人間の介入は、自動化された精密化アルゴリズムの収束半径内の初期値を与えること、精密化アルゴリズムが局所解 local minima にハマっているときに、そこから脱出する手助けをしてやることである。こういった介入はあくまで global minima に至るための手段に過ぎなくて、最終的な解の妥当性が確保されれば、そこに至った道筋はなんでもよいのである。それが私の好みに合っている。「なぜその選択をしたのか」を逐一正当化しつつ進んでいかねばならないやり方は、どうも窮屈に感じる。

どうも言いたいことが表現しきれていないが、とりあえず脱稿。