私の目標

以前、『将来に希望や欲望を持たない』と書いた。「諦める、いや逃げ出すことで精神安定を図ってきました」という記事も書いた。その上で、実現可能性はともかく、目標らしきもの、あるいは理想があるとすれば、

どんな回折画像が与えられてもそれが構造解析に十分かどうか判断でき、不十分な場合は何が不足か説明し、十分な場合は迅速に構造を解析し、自分の能力を超える病的結晶の場合は無理して間違った解を返すのではなく適切な場所に相談でき、さらに全過程の理論を説明できる、そんな職人

これをコアにしたい。その上で、「構造の可視化」とか「分子動力学シミュレーション」とか「量子化学計算」を付け加えてもいい。

構造の解釈や実験計画立案には、要請があれば積極的に協力したいが、あくまで「意見を出す」だけでありたい。病理医が目の前の切片から読み取れることを報告するが、最終的な診断や治療方針の決定は、他の臨床知見と合わせて主治医が行うのと同じことである。「○○という生物学上の謎を解きたい」という動機に基づいて、「そのためにはこういう構造情報が必要だ」と考えて、実験計画を練り、遂行し、得られた構造を解釈して、必要ならば追加の生化学実験を行い……というのが、現在の構造生物研究者に求められる能力なのかもしれない("Structural biology: More than a crystallographer" Nature, 2014)が、私はそれには興味がないし、やりたくない。

新しい解析手法を生み出すのは、副産物である。それが「仕事」(duty) の一部にはなって欲しくない。構造を解きまくる過程で、自然と「こうやったらもっと上手くいくのではないか」と気がついて、試してみたら上手くいった、せっかくなので論文化しようというのは大歓迎だが、「新しい手法を開発するのがあなたの仕事です」というのは耐えられない。その理由は別の記事を執筆中だが、端的に言えば、「成功するかしないか分からないことに、仕事としての責任を持つのは重すぎる」のである。

だから私が目指すのは、高度な専門知識と技術を持った職人・技術者であって、(日本で一般的に言われている意味での)研究者ではない。#この2つの違いについても執筆中