今日は昨日より 10 度近く下がったので、長袖長ズボンにした。
某所に Anime-Girls-Holding-Programming-Books コラに使われそうなとりの写真が掲載された。残念ながら、とりさんは Anime-Girl ではないけどw
IF が 40 を超える某誌に投稿するという原稿が送られてきたが、とりさんはそのプロジェクトの初期に関わっただけで今回の論文に載せる成果には関わっていないので、共著にしていただく必要はありませんと断った。こういう健全さは自分の誇りである。一方、同じような状況でそのまま共著者になる人も多い。(まあ、こうやって「そのまま共著者になる人」への嫌味みたいなことを書くとりさんは、それほど健全ではないかもしれない)
化学結晶学おける分解能
昨日書いたこれについて、shocked というのは文化の違いに驚いたという意図であり、accusatory に響いたなら申し訳ない。
この文化の違いについては、いろいろなレベルがありそう。
Å で表すか 2θ で表すかという表示方法の違いに戸惑っているだけで、回折能という概念としては分かっている人もいる。
一方、測定から構造までボタンを押すだけの自動化の進んだシステムに慣れてしまい、2θ であれ Å であれ、回折性の良し悪しをまったく意識しない人もいる。普段扱うサンプルは検出器の端まで回折するとか、せっかくよく回折しても結合電子の可視化などには興味ない等で意識する必要がないのかもしれない。構造が解けた・解けないの二分法で、間がない人も多い。「X 線で解けませんでした」という時に「どこまでは回折した?」と訊いても「考えたことがない」とか。生物系だと、4.0 Å だったからもう一押しとか、2.7 Å だったのを最適化したら 2.5 Å になったとか、いつも分解能が頭の片隅にある。
Olex2 などで、電子密度マップを等高面 isomesh で表示するのではなく、差ピーク(Q peak)の位置を球で表示するだけなので、分解能や異方性による情報量の違い・マップの見え方の違いを体感しにくいのかなとも思う。
There are many types. Some people know the concept but are used to different units (two theta angles not angstroms). Some others don't care at all; for them a structure is solved or not. There is no gradation. When I receive an MicroED sample, I always ask to what resolution it diffracted in X-ray single-crystal or powder diffraction, and most of the time they say "too few spots", not numbers. I guess they are used to a fully automated system (like RIGAKU's) that goes from data collection to a structure by a few clicks. In this case, what matters to them is success or failure and they don't care how it failed.
Another cultural difference is that many chemists work on Q peaks and don't look at raw maps rendered in isomesh as often as macromolecular crystallographers. So they don't have intuition regarding how a X Å map looks like and how anisotropy degrades the map.
読んだ
加藤岳生 "Don't Believe Over Thirty"
研究中にスランプに陥った話が興味深い。PC watch "西川善司のグラフィックス MANIAC 嗚呼すばらしき 32:9 の世界。「ウルトラワイドゲーミングモニター」のススメ (1)"
32:9 というとぎょっとするが、16:9 を横に 2 つ並べた形と考えれば、それほど不自然でもないか。
アニメ
「私の百合はお仕事です!」6 話を見た。
このギスギスがずっと続くみたいなコメントを見ていたから、あっさり解決して驚いた。また揉めるんだろうけど。いずれにせよ面白い。次のテーマは青なのかな。「推しの子」6 話を見た。
あかねに感情移入させる演出だからか、批判的な意見表明は全部ダメみたいな感じの感想が目についた。後半のはもちろん論外だが、「自分は好きではない」とか、「降板してほしい」といった表現はアリなんじゃないの? 例えば野球で「この選手は最近打率悪いし、変えろよ〜」というコメントだって、選手本人にとっては痛いかもしれないが、こういうのが規制されるべきだとは思わない。
Vtuber 動画のコメント欄やツイートへのリプライが、ひたすら共感・応援・肯定的なものばかりになっているのには不気味さを感じる。そういうコメントをする訓練されたファンしかいないのか、そうでないのが消されているのかは知らないけど。そういえば、ハーメルンの「輝かせたくて」40.5 話で、その辺について触れられていた。どこからフィクションなのか知らないが、ここにある「エゴサで本人が見れる場所に批判を書くな」が本当なら、かなり奇妙で不健全な文化だと思う(批判と誹謗中傷は当然異なる)。