「本質的なことをやりなさい」

研究者になることから挫折したと言ったが、学部時代、「研究」に憧れを持っていたころの思い出を書こう*1

2023/11/6 追記: この記事を書いて 10 年近くになり、相変わらずアカデミアにいるが、自分のアイデンティティは「新しいことを見つける研究者」ではなく、新しいことを見つけたい人のために技術的な問題を解決するプログラマ・エンジニアである。

先日、といってもこの記事の公開日からすると3年も前だが、ある先生の最終講義を聴いてきた。Wikipedia に項目があるくらいの「エライ」先生である。

私は学部3回生のとき、その先生に突然呼び出されたことがある。先生の担当する薬理学の講義は、医学部の授業にしては珍しく、無味乾燥な事実の列挙に終わらず、物質の発見に至った歴史的経緯なども含んだ面白いもので、学問的な味があって好きだった。だから私も「趣味が合いそう」と思って、講義の後によく話しかけていたのだ。プロスタグランジンの話が出た際、植物も似た骨格を持つジャスモン酸をホルモンとして使っているのは興味深いですねと話しかけたり、抗アレルギー薬の講義の後に、クロモグリク酸の発見者 Roger Altounyan幼年時代に児童文学作家 Arthur Ransome と交流があって、「ツバメ号とアマゾン号」シリーズ中で同名の登場人物のモデルになっているという話をしたりした。そんなこんなで私に興味を持たれたらしく、Roger の話をもっと詳しく知りたいという名目で呼び出されたのである。

さて、ひと通り Roger の話が終わった後、立派な教授室で、先生は「今、どういうことに興味を持っているの?」と尋ねた。私は、珍しい天然物やその生合成経路の魅力を答えた。先生は頷きながら聞いてくれたが、その上で「実際それはとても面白いと思うけど、自分の研究はもっと本質的なことをやりなさい」と言った。その言葉に自分の憧れを否定されたような気がして、いささかムッとしたような記憶がある。テーマの面白さは肯定しておきながら(これは間違いない。講義でも、薬剤が天然物から発見されたエピソードや化学の重要性を楽しげに語っていたのだから)、研究テーマとしては賛成できないというのはどういうことなのだろうと。なお、私は彼の研究室に入りたいという話をしたのではないから、彼の研究テーマと一致しないから却下されたということはありえない。

「本質的なこと」とはなんだろうか? 当時は、ここが医学部だから人間以外の生物を研究しても「人間の役に立たない」から「本質的でない」と言われたのだろうかと考えた。それはあまりに近視眼的過ぎて、普段の先生の言葉とは合わないような気がした。あるいは、ごく一部の生物しか持っていない代謝経路を研究するのは各論的すぎるという意味で「本質的でない」のだろうか。生物全体に共通する性質を追求すべきだということ? だが人間の研究だって、人間固有の性質を調べている場合が多く、普遍的な知見を目指しているとは言い切れない。自分が哺乳類だから・人間だから、人間やマウスの研究が本質的で植物や真菌の研究がそうでないというのは、あまりに自文化中心主義すぎるだろう。いろいろ考えたが、答えは出なかった。

それから5年以上が過ぎた。私は大学院3年目になり、自分の精神上の問題とラボで目にしたゴタゴタの両方から、研究への情熱がほとんど折れていた。そんな状態で聞きにいった最終講義の中で先生は、研究者として駆け出しの頃、かつての指導教官から「研究テーマは大事なことをやりなさい」と言われたという話をされた。少しじんとした。ああ、あの言葉は、先生自身も言われた言葉だったのかと。もちろん、言われた状況はまったく異なる。先生の場合は既に留学帰りで立派な業績があり、その上で何を研究するかという段階だったのだから。

あれから、いろいろな研究者の話を聞いて考えた。どうやら世間一般でいう「本質的なこと」とは、新しい概念や世界観を確立することのようである。例えば、iPS 細胞は、誰もが無理だろうと思っていて試そうとしなかったことをチャレンジして目的を達成した。「あんなことができるなんて!」と皆驚いた。その上、いろいろな応用にも繋がった。だから「よい研究」である――と。

だが、私には、どうもピンと来ないのだ。iPS 細胞の発見に至った実験操作自体は、遺伝子をいろいろな組み合わせで形質転換してひたすらアッセイしていくだけなので、新技術でも高等技術でもないからだろうか、「やっただけじゃん」という気がしてしまう。だが、「数個の遺伝子の導入だけで再初期化なんてできるわけがない」という iPS 以前の「分野の常識」の強さを私は実感として持っていないので、「着想の凄さ」が分からないだけなのかもしれない。

それを言い出したら、複雑な天然物の全合成とか、恐ろしく不安定な蛋白質複合体の結晶構造解析(G蛋白質-GPCR複合体構造とか)も、言ってしまえば「技術的問題の解決」に過ぎないことになってしまう。実際、これらの研究を「ただのエンジニアリングだ」といって評価しない声も聞く。だが、私にとっては、これらの仕事はとても偉大に感じられる。

結局、「何が本質的な仕事」なのか、分からない。

#未完。自分の中で答えが出ていないのだから、いくら「下書き」に腐らせておいても完成するはずがない。だから公開する。

2023/11/6 追記: 生物物理学会"アンチによる近視眼礼讃"にも「本質的で重要な問題に取り組むことを薦める」とあるが、上にある通り、自分は賛成しない。比較的難易度が低い問題で数をこなすことで腕を磨けたり実績を積み重ねられたりするし、それが自信につながったりする。

*1:エライ先生に対する敬語がなっていないという指摘は受け付けない。日本語むずかしい。