スルースキル

ネットでは、「スルースキル」なるものが重要らしい。

ギョッとする/ムッとする意見を見かけても、いちいち反論を吹っ掛けたりしない程度の煽り耐性はあるつもりだが、それでも「世間にはこんな攻撃的/差別的/etc な事を言う人がいる」と厭世的な気分になったり、「リアルでこういう人が絡んできたら」と恐怖したりと、精神に動揺を来してしまう。そういう時、「この人の中では、どうしてこんな結論が出てくるんだろう」と考える。自分と前提(例えば「何が幸せな人生か」)が違うのか、論理に飛躍があるのか(少数例からの一般化など)を突き止め、「とても同意できない意見だが、この人がそこに至った過程は分かった」という状態になれば安定を取り戻せる。私にとって、「公理と推論規則」で他人の行動を説明することは、とても大事なことだ。「悪意を想定しない」に書いたことにも通じるが、「この人は悪意があって、あるいは支離滅裂に、こう書いているのではない。私とはまったく違った前提と論理によって、この人の中では合理的な帰結として、こういう意見に至ったのだ」と納得し、安心できるからだ。

そういう筋道が解明できないと、「この人は全く行動原理が分からない。恐ろしい……」というのが残って尾を引く。ただ、解明できたとしても、そこに至るまでに時間もエネルギーも使うので、疲れが残る。私は災害や偶発事故に対しては人よりも受容的で、「そういうものだよ。仕方がないよ。別にいつ死んでもいいし」とさえ思っているのだが、人間の悪意、いや人間の振る舞い全般に対しては、過敏症で、予期不安を強く感じる。事故や天災と何が違うんだろうと、自分でも不思議である。機械論的に、他人の振る舞いもすべて、単なる自然現象だと受け流せれば幸せなのだろうけれど。何も考えずに「便所の落書き」とスルーできるスキルを身につけたい。

この記事も、あるツイートを1つ見て動揺した結果である……