○○も勉強すべきですか?

The anatomy of successful computational biology software Nat. Biotechnology (2013) を講義で紹介された。bioinformatics の有名ツールの開発者へのインタビュー集である。Open Access なので一読されたい。プログラムが成功するための秘訣、他の分野のプログラミングとの違い、生物学者がプログラミングを学ぶべきかどうか、などの点について、いろいろな意見が挙げられている。

講義でも、「生物学者は computational biology 的手法を学ぶべきか」という話題が出され、10分ほどの討論があった。Computational biology のコースなのだから、当然みんなが「はい」と答えたかというとそうでもなくて、「生物学者が自力で情報学的手法を使えるように勉強するよりも、専門家と協力することを学ぶほうが大事だ」といった意見も出た。

ただ、最近の自分は、「生物学者は◯◯(化学とかプログラミングとか数学とか)も学ぶべきか」という質問は嫌いになりつつある。「すべきだからする」のではなくて、面白そうだからやる、ブラックボックスの中身が知りたいから学んでみるって風じゃないと、結局ダメだなあと思う。

だから、「○○を知っていると、より深く生物を理解できますか」と問うならまだ分かる。ただ、この質問は、○○の部分がなんであっても「はい」と答えることになると思う。結局、○○学というのは人間が勝手に自然に入れた境界線であって、本当はなにもかもが関連しあっているからだ。脱線になるが、私はこの手の関連を引き出すのが得意で、新たに知り合った相手が何を専門としていても、生物とか化学とか自分の得意分野に繋げて、「あなたが今おっしゃった○○は、最近では✕✕という面から、私の専門領域でも話題になっているのですよ」と話を広げていくのが好きである。

話を元に戻すと、「○○を学ぶべきでしょうか」という質問の背景には、「これからの時代、◯◯も知ってないと生き残れないですか? 知ってたほうが有利ですか?」という下心や、「出身者の生存率を上げるために我が学部でも◯◯を課程に組み込むべきか」といった政治的意図が見え隠れすることが多い。そういうのはいかにも「大人」的で、おぞましい感じがする。動機が不純である。そう感じるのは、自分があまりにも naive であると言ってしまえばそこまでだが。

年配の先生に対する「若いころ、もっと学んでおけばよかったと思うことはありますか」というインタビューを読むのは好きだけれど、あくまで、個人的な経験、大げさに言えば人生観を問う質問として受け止めている。