英語と漢語

文語的で、現代語からはほとんど絶滅してしまったような単語が、かえって英語のニュアンスを正確に反映していることがある。

「孜孜として」(ししとして)ほど "diligently" という語にぴったりくる訳はないだろう。

許す・赦す・宥す・恕すと、allow, permit, forgive の関係についても、昔何かで読んではっとしたことがあるが、どれがどれやら肝心なところを忘れてしまった。

最近は、外来語をわざわざ漢訳しないで、そのままカタカタ語として使うことが多い。その是非について私ははっきりした意見を持たない。私にとって camera は写真機と言ったほうが自然だが、digital camera はデジカメ以外の何者でもない。ただ、訳語を吟味したり、あえて漢語訳するならどうだろうと考えるのは好きである。

昨週の勉強会で、multiple regression を重回帰と訳したのはどうも違和感があるという話が出た。中国からの留学生が参加していたので尋ねたところ、「重」という字は使わず、「多元回帰」というらしい。重回帰という言葉はいつごろ生まれたのか、近代デジタルライブラリをざっと検索してみたが、よく分からなかった。