価値観対立・利益相反

政治・宗教まで話を広げなくとも、大学の研究1つをとっても、価値観や利害は対立している。

いずれ詳しく述べたいと思うが、実験系 wet の研究者と解析 dry の研究者では価値観が異なる。dry の研究者の中にも、実務的な仕事を好むものもいれば、理論構築を好むものもいる。「あれは研究ではなくて単なる雑用だ・ルーチンワークだ」「机上の空論を弄ぶだけだ」と互いを揶揄するような発言を耳にすることもある。

産学連携が推進される現代では、同じ研究室の中に、学術的目標に向かって研究をするものと、一企業の利益のために priprietary な仕事をするものが混在したりする。当然、彼らの価値観も異なる。

上の方の人になれば、教育と研究、臨床家ならさらに臨床業務の対立も生じる。

そういうことがない場合であっても、「思うがままに進んで、自分の好奇心を満たす」という私的な動機と、「ある程度のところで妥協して論文を書かねばならない」という要請、「研究費を使うからには社会に還元せねばらない」という公的な義務がぶつかり合うのは当然のことだ。

みな、どういうふうにこの対立を処理しているのだろうか。

私の持病が悪い相にあって予期不安が強い時になると、実務系の仕事をしている間は理論系の先生から「そんな雑用よりもこちらの仕事をしてくれ!!!」と催促されているような気がして集中できず、かといって理論系の仕事に取り組めば、実務の仕事の依頼者から「はやく俺の仕事をしろ!!!」というメールがいつ届くかと気が気でなくなってしまう。自分の興味を満たすために論文を読み、自分のスキルを上げるためにプログラムを書こうとすれば、双方から「それは今君がやるべき研究とは直接関係ないよね!!!」と怒られる。何をやっても誰かから非難され、あちらを立てればこちらが立たぬならば、全ての人を失望させてでも、何もかも投げうって関係を初期化し、本当に価値観が一致する人を一人見付け出して、ずっとその人だけのために仕事をして暮らしてゆきたい。が、そんな人がいるはずもなく、どうにもならない。