中島敦とゲシュタルト崩壊と言語の恣意性

中島敦の「文字禍」にゲシュタルト崩壊 Gestaltzerfall が描かれていることは、そこそこ有名である。該当箇所を引用してみよう。

その中に、おかしな事が起った。一つの文字を長く見詰めている中に、いつしかその文字が解体して、意味の無い一つ一つの線の交錯としか見えなくなって来る。単なる線の集りが、なぜ、そういう音とそういう意味とを有つことが出来るのか、どうしても解らなくなって来る。老儒ナブ・アヘ・エリバは、生れて初めてこの不思議な事実を発見して、驚いた。今まで七十年の間当然と思って看過していたことが、決して当然でも必然でもない。彼は眼から鱗の落ちた思がした。単なるバラバラの線に、一定の音と一定の意味とを有たせるものは、何か? ここまで思い到った時、老博士は躊躇なく、文字の霊の存在を認めた。

ゲシュタルト崩壊が心理学の世界で報告されたのは1947年、文字禍の発表が1942年なので、なんとこちらが先行するのである。作家の観察眼には常々驚かされる。

ところで、ここで描かれているのは、ゲシュタルト崩壊だけではなく文字の恣意性でもある。たとえ文字の由来が表意であったにしろ、抽象化・記号化された今となっては、文字がその形である必然はない。「あ」という文字と「い」という文字を社会全体で一斉に取り替えたら、誰も困らない。音も同様である。

中島敦は「狼疾記」でも同じようなことを書いている。引用すると、

ちょうど、字というものは、ヘンだと思い始めると、――その字を一部分一部分に分解しながら、一体この字はこれで正しいのかと考え出すと、次第にそれが怪しくなって来て、段々と、その必然性が失われて行くと感じられるように、彼の周囲のものは気を付けて見れば見るほど、不確かな存在に思われてならなかった。それが今ある如くあらねばならぬ理由が何処にあるか? もっと遥かに違ったものであっていいはずだ。

しかし、言語がまったく恣意的なものであるかというと、そうでもないのではないかという事実がある。それが、ブーバ/キキ効果 - Wikipedia である。これを利用した(?) 「最強のポケモンの生成」 - NLP2012のオノマトペ関係の論文 - 唯物是真 @Scaled_Wurm という面白い研究がある。