ものを書く速度

高校生くらいまで、私は筆が速かった。筆といっているが、もちろん比喩的な意味である。実際にはテキストエディタで文章を紡いでいる。一時間で10KB近く書くこともできた。今は違う。少し手を動かしては手が止まり、また打っては前の行を削ったりする。

肉体的な衰えではない。タイピング速度測定サイトに行っても、速度はほとんど変わっていない。出来上がった文章を打ち込んでいくだけなら、昔と遜色ないはずだ。遅くなったのは、アタマである。文章が出てこない。書いているうちに、アタマの中にあることと文章とが乖離していく。説明が足りないのではないかと不安になる。この部分は誤解されるのではないか、炎上を招くのではなかろうかと心配する。こことここは同義反復ではないか、冗長ではないかと気になりだす。そうすると手が止まる。

昔は、怖いもの知らずだっただけかもしれない。しかし、若い頃の文章を見直しても、それほど粗があるようには思えない。

アタマのなかの校閲係をオフにしよう。思ったことを、そのままタイプしていく。そのほうがよいのかもしれない。中身をチェックするのは、ある程度の分量が出来上がったあと。そう割り切って、とにかく指を動かし続ける。そうすれば、少なくとも文字は溜まっていく。あとで整理したら残るのは3割になってしまうかもしれないけれど、何も書かないよりはマシだと思う。

私は間近に読んだ文章の影響を強く受ける。最近、まとまった文章を読まなくなったから、言葉のリズムがおかしくなったのかもしれない。思い出したように本を開く。数章読んで、本棚に戻してしまう。一冊続けて読んで、ああおもしろかったという体験をするのは、月に数回に減ってしまった。

文体と言えば、英語の影響が大きいかもしれない。最近、真剣に読む文章は英語ばかりである。論文・総説・IT関係のブログなど、ほとんど英語だ。自分の文章に「その」とか「それは」とか、指示代名詞が多すぎるのが気になる。英語のせいだろう。絶対量でいえば日本語のインプットも同等以上にあるはずだが、日本語で読むのは、個人がとりとめもなくアニメの感想を語っているようなブログ、流れさるタイムラインばかりである。時に青空文庫などで、戦前の名作を開けてみたりすると、その言葉の美しさに浸ってしまう。

言いたいこと、要素要素は間違いなく存在する。ただ、それをどう吐き出して行ったらいいのか分からない。英語で小論文を書くときは、段落の頭に主題文(topic sentence)を立てて、その具体的説明・例・理由・根拠などを続けて一段落とせよと習う。日本語で書いていても、主題文は思い浮かぶのに、説明を書いているうちに面倒になってしまう。疲れてしまう。持久力が足りない。そういう時は、目立つように全角でシャープ(###)を打って、次へ進むことにしている。後でこの記号の部分を埋めていって、#がなくなったら文章の完成である。しかし、完成にたどり着かぬまま、下書きとして眠っている文章が無数にある。